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カナダ国AB州でソーシャルワーカーしてます。 生活の一こま、カナダのニュースなど、 徒然に書き綴ってます。メールはこちら wasabisyouu@gmail.com
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よく聞かれる質問の中に、


Diploma (短大卒)とBSW(学士卒)ではどのように違うのか。


いつも決まって答えるのは、

準看護師と、看護師の違いと言ったら分かりやすいかもしれない。

英語で言うと、Nursing AidとNurseの違い。

Nursing Aidは(病棟によっては違いますけど、主に患者さんの下のお手伝いをする時もある)、ヘルパーさんのような感じ。

Nurseは、プロフェッションですから、その他の一段レベルが高い看護をする。



ソーシャルワークも一緒。

簡単に言うと、Diplomaだと下っ端のような感じ。

今はほとんどがBSWを求人している。


時給にして、BSWは$24から始まる頃、Diplomaは$18ぐらい。(注、エド市、2012時点)


将来、病院や政府など働きたかったら、BSWをお勧めする。



もう一つの理由に、BSWだと、将来いろんな分野に変更する事が出来る。

詳しく言うと、Diplomaは対外、Children and Youth service、とか、Disabilityとか選考されており、

もし将来、上記の分野が飽きてしまう可能性もある。

そうすると、他の分野へ職替えしたい場合、BSWがあると有利になるのだ。


と言う訳で、BSWをお勧めする。

就職の際には、成績なんて聞かれないので、卒業さえ出来れば、

そして、RSWに登録出来れば、GPAがギリギリであろうが、大丈夫。

働く免許さえとれればいいのだから、成績関係なし




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実は、来週の連休明け、11月13日に、大学の卒業式がある。


こちらでは、Convocation (コンボケーション)と言うのだが、


出ないという事にずっと決めていた。


卒論のスーパヴァイザーの教授は、


『わさびが行くのなら、卒業証書を手渡される瞬間に立ち会いたい。』


とメールがあったが(彼女にとっては、初めての生徒だからかもしれないが。。)。


でも、私は行かないと決めていた。


11月のこちらの天候、雪になる事もあるという事もあるが、


あまり卒業式、卒業証書自体には、執着が無い。



というのも、


MSWを取るという事は、学生である事の終わりであるが、






これから先、引退するまで延々とつづく、スキルアップのための勉強の始まりであるからだ




MSWを取ったという事で、一目おかれる。



その期待に応えられるよう、日々努力の始まりなのである。


mediocre (平凡)なソーシャルワーカーや、セラピストにはなりたくないのだ。







卒業式に行かない代わりといっては何だが、


旦那が万年筆を買ってプレゼントしてくれた。




かの有名な、Mont Blanc (モンブラン)の万年筆

前から約束していたもので、ちょっと高価なのだが、お祝いとして買ってくれた。


実は、私、万年筆が大、大、大好き


それも、吸引式。(カートリッジではなく)


ペン先にもこだわりがあり、BB(ダブルに太いという意味)が好き。



早速インクも買い、試した。


書き味、サイコー。




昨日から、万年筆で、紙の日記帳に日記を書き始めた。


万年筆で字を書くのが、楽しみになってきた。

万年筆コレクションの第一号になるかもしれない。

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ご質問のコメントが着きました。
非常に長いので、興味の無い方、飛ばして頂いても良いですよ。


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>「それ」は”哀れみより、同情すべきなのである。同情とは、他人の身の上になって、その感情をともにすること。特に他人の不幸や苦悩を、自分のことのように思いやっていたわること。Put oneself in another person's shoes である。こちらがソーシャルワークなのである。”という部分です。果たして、社会の人はそれを望んでいるのでしょうか?という疑問からコメントしました。正直なところ、ビデオクリップの物乞いの動画は特に細かく議論しようとは思っていません。ただ、ソーシャルワーカーの存在意義については、まだまだ私は懐疑的です。だから、わらびさんのブログは興味深く読ませていただいています。懐疑的な理由は、助けを必要としていない人にまで、社会的に見て、必要だろうと判断して勝手にソーシャルワーカー側から来るというイメージだからです。本当に助けが必要なら、必要だということもできるはずですが、ソーシャルワーカー的に見ると、社会的弱者は、助けが必要な状況にすら気づいていない。だから、気づかせてあげるわ。というまさに上から教える感じがします。そこには、本当にPut oneself in another person's shoes といえるのか?むしろ、立場を理解するというより、その人にとって、より試練を与えるだけという感じもします。社会的弱者の快適さの追及ではなく、はっきりといえば、社会全体の快適さを追求していると言ってもらった方が素人にはソーシャルワーカーの立場を理解しやすいという思いで書きました。エゴというのは、まさにこのことです。私の理解不足で、誤解があれば是非専門家から教えていただければ幸いです。

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詳しく述べて頂いて 、これで分かりました。

>懐疑的な理由は、助けを必要としていない人にまで、社会的に見て、必要だろうと判断して勝手にソーシャルワーカー側から来るというイメージだからです。
このようなイメージが有るのなら、私のソーシャルワーク広報係としての役割が、まだまだ足りないのですね。


ではまず、どこでソーシャルワーカー(SW)が働いているのか、基本的な事からおさらいしましょう。


SWが主に働いている所。

Federal — 国の刑務所、カナダ軍隊、他

Government of Alberta (生活保護、老人福祉、身体障害者係、児童福祉課、ポリシー分析部、州の刑務所、等

City of Edmonton (community services – カウンセリング、community development、緊急災害対応課、family services (家庭内暴力、いじめ、サイバーいじめ、青少年を非行から防ぐ、守る係。

病院やクリニック — 一つの病院に(病院の大きさにもよりますが)3、40人のSW。部署ごと、例えば小児科、産婦人科、外科、精神科、family medicineなどなど、部署と接続している所と、SW部が病院に有って、必要とされる科の患者さんに配属される場合。

学校 ー スクールSW(経費の削減であんまり存在しないかもしれません)

非営利団体 — ファミリーサポート、養子縁組、高齢者、移民 、障害(メンタルも含む)のある方をサポートする団体、Addiction recovery(アルコール、薬、等など)、グループホーム、たくさん有りすぎて、書ききれない。。



では、一番身近な、Government of Alberta 、児童福祉から見てみましょう。児童虐待やネグレクトが有った場合、まず、誰が児童福祉課へ連絡するのかと、言うと、先生が子供の異変に気づく(アザが有ったり、暑いのにトレーナーやズボンを着てアザを各層としたり、性的虐待が有ったりすると、大切な所を隠そうとする。)まず、先生方が子供の異変に気づいて、連絡する。その他、近所、家族、友人たちからの、児童虐待が起こっているかもしれないという電話連絡。そして、夫婦間のいざこざで警察がその家に呼ばれた時、子供がその家にいた場合、警察は即、児童福祉に連絡します。

カナダ軍隊や警察だと、指揮官やボスが、『あの○○中佐(警部)の様子が最近おかしいから、SWへ行く様に』って言い渡したりします。


それから、生活保護を受けたい場合、その人たちは自分でAlberta Worksという所へ行かなければなりません。自分で行って、事情を説明しないと行けません。
病院のSWの場合、医者、看護師、サイコロジストから、この患者さんには、SWのinterventionが必要だと判断され、SWに紹介されます。




>ソーシャルワーカー的に見ると、社会的弱者は、助けが必要な状況にすら気づいていない。だから、気づかせてあげるわ。というまさに上から教える感じがします。


上記にあげたように、SWが勝手に助けが必要だと判断してどこからとも無くやってくる訳では有りません。周りの人、家族、警察、学校、ご近所さんが何らかの形でその人、その子の異変や問題に気付き調査するよう求め、SWの介入が始まるのです。


こちらでは、Social Safety Netという考え方が浸透してます。人々がその網から落ちて行かない様(最悪の結果、餓死、殺人etc)に、社会全体が支えて行かなければならないという考え方なので、その人が助けが必要な状況に気づいていなくても、(sw以外の)誰かが気づいて誰かに助けを求め、社会でなんとかしなければと言う考え方です。


逆に言うと、このSafety Netという考えが日本には無いから、SWが浸透しにくいのだろうかしら?日本だったら、昔はおせっかいおばさんがいたから、SWが必要でなかったけれど、個人主義の北アメリカ、個人主義だからこそ、人々が助け合って社会を良くしなければならないというのが早く浸透したのでしょうかね。


ですから、SWは表に見えるけれどそのSafety Netの氷山の一角で、人々がサインに敏感で、人権の管理人であるのです。


たとえば、患者さんやその家族が、病院の廊下で泣いているとします。見かけた看護師、医者、OT、スタッフが、すぐ駆け寄って来て、『SWを早く呼んできて!』と言うんですよ、こちらの病院では。


非営利団体では、基本的に助けを必要とした人が、その団体に助けを求めにやってきます。養子縁組、移民など。Addiction Recoveryなどは、大抵、家族が無理矢理引っ張ってきたり、児童福祉のケースワーカーが行かないと、子供を返さないというような条件を付けたり。。


エド市のCommunity Servicesの場合、また、前回の物乞いの話に戻りますけど、物乞い、ホームレスがいるという事態は、エド市がなんとかしないと、この市からいつまでたってもホームレス問題が無くならないという事態を打開しないといけない、市のアジェンダにSWが利用されているっていう感じでしょうか。誰がSWの雇用主かという面も絡んできますので、この辺になるとpoliticsですね。


こう見ると、SWはたくさんの分野にいます。ですが、基本的に、自主的に来る人、強制的にSWの介入を受け入れざる終えない人、2つのタイプにわかれます。


そうすると、クライアントはどんな人か、どんな過去を背負っているのか、というのは全く分かりませんよね。私の少ない経験からするとクライアントはいつも、『私の気持ちなど分かるまい。』『子供がいないあなたに、どんなに大変か分かるまい』と言われます。クライアントのおっしゃる通りです。


もし私が移民サポートのサービスを受けたく、そんな団体に行くとしましす。私もいろいろ苦労してきました。そんな私の苦労が、二十歳そこそこの、白人のカナダ人で何にも苦労してなさそうな(もちろん実際苦労してらっしゃるかもしれない)、チャラチャラしたSWには分かるまい。という気持ちになるでしょう。で、(仮の)白人SWが心の中ですべきなこと、put oneself into another person’s shoes(例えば、この白人SWが英語(フランス語)圏以外の国へ旅行へ行った時に感じた、言葉の通じない苦悩や、孤独な心の痛みを思い浮かべたりして、少しでも私たちの感じている苦悩を一緒に感じることを努力するのです。こちらがput oneself into another person’s shoes.


もし、私が観察保護付きの犯罪者のSW Practiceをする場合。たとえ犯罪者といえ、人権を尊厳しないといけません。犯罪者に偏見があると、なかなかput oneself into another person’s shoesが出来ませんよね「あんた見たいな犯罪者に、SWのサービスなんてしたくない」と思うと、良い関係が作れませよね。よい関係が作れないと、セラピーやサービスも単なるお金の無駄使い。でも、少しでも痛みを感じる事が出来て、ちゃんとして更生する様に導くのがSWであるべきなんですよね。


>立場を理解するというより、その人にとって、より試練を与えるだけという感じもします。

『より試練を与えるという感じがする』というご意見(私には、ちょっと面白いと思います)クライアントに聞かないと分からないですよね。(次の研究テーマだワ)。試練はうすうす感じているのでは無いでしょうか?(私は不運だなぁ、犠牲者だ)ほんとうに聞いてみないと分かりませんですけどね。


>社会的弱者の快適さの追及ではなく、はっきりといえば、社会全体の快適さを追求している。

物乞いやホームレスをなくすという市のアジェンダは確かに、大半の人は、道ばたでは物乞いやホームレスを見たくない、市の評価を落とすのでいなくなれば良いと思っているので、いなくなれば社会全体が快適になるという = あなたの上記のご意見に近いですかね。


最後に、SWのクライアントには、社会的弱者が多いですが、普通の人やお金持ちのクライントもたくさんいますよ。ですから、ある一定のグループの快適さだけを追求するのではなく、一人一人の快適さを追求している = 社会全体の快適さの追求と言う事、になるかも知れませんね。


非常に長くなりましたが、出来るだけご質問にお答えしたつもりです。
少しはSWのご理解を深められたでしょうか。。

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先日、平和な国ノルウェー王国を震撼させた、

『オスロ中心部爆発事件及びキャンプ場銃撃事件』


こちらに流れてくるニュースの断片だけを読んでいると、


1)極右翼

2)キリスト教原理主義者(イスラム教の迫害)

3)現、労働党政権への不満(移民、社会保障制度に対して)


この三つの点が絡み合っている。




ノルウェーは社会保障制度が整った国であり、ソーシャルワーカーからみると、

天国のような国である。貧富の差も少なく、福祉が充実している。


カナダは、福祉国家と良く言われるが、ソレは、日本から見て福祉国家と言えるが、

ノルウェーからみると、まだまだである。

私の個人的感覚からすると、日本の福祉制度が3だとすると、ノルウェーは10くらい、

カナダは7くらいだろうか。ちょうど中間点である。

横道にそれたが、この事件でノルウェーの国でもも上記のような輩が存在するということが、改めて認識させられた。




まず、右翼。

前回、カナダでの選挙があった歳、述べたが、西洋で言う右翼というのは、

『自分のことは自分で面倒見よう』的な考え。

社会保障というのは、政府が個々の財政に口を突っ込むことはしない。

自分で仕事を見つけて、自分でやってけというイデオロギー。




次、キリスト教原主義者。

山葵の個人的な意見からすると、宗教は否定しないが、他の宗教を否定する

宗教概念は私には頂けない。

キリスト教とイスラム教のいがみ合いは未だに続いている。

あんまり知られていないが、キリスト教とイスラム教は兄弟宗教である(違っていたらごめんなさいね)

イスラム教徒、女性がかぶるヒジャブは、聖書の聖母マリア様がかぶるベールと同じであると、イスラム教信者のクラスメートから聞いた(が、イスラム教にもいろんな宗派があるので、彼女のは、比較的リベラルだったのだろうか。)

違う宗教同士、共存は出来ないのだろうか。



最後に、移民、社会保障制度に対して。

社会保障が充実すると、何もしないでもお金がもらえ、労働意欲が薄れ、

移民が働かないで保証を吸い上げている、という不満。

どこかの新聞で読んだが、犯人は日本という国を、『他民族を歓迎しない国家』ということで、日本を目標に掲げているそうだ。

ちょっと複雑な心境だ。



山葵の個人的な考え方だが、イデオロギーは偏見から来る。

この事件は、非常にショッキングで残念な事件である。

不満は誰にでもあるが、テロや銃撃し、人の命を奪わなくても

いくらでも政府や社会にに訴えることは出来るのに。。

例えば、政治家になるとか。

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長らくお待たせしました、ソーシャルワーク102です。


ソーシャルワーカーとしての役割として、



マイクロ(Micro, 個人)レベルでは、


   Counselor, therapist(カウンセラー、セラピスト)
   Case Manager 
   Group Worker (グループセラピストなど)、
   Advocate (主張、クライアントに代わって、上などに意見する)


メゾ(Mezzo、小団体)レベルでは、

   Advocate
   Enabler or facilitator(クライアントの目標を実現させるため、鍵となったり手助けする)
   Educator, teacher or coach(クライアントを教育、指導、コーチする)
   Mediator(仲介者)
   Outreach Worker(福祉が届いてない人たちに手を差し伸べる)
   Social Broker(社会的にいろいろな人と、施設、プログラムなのブローカーとなる)
   Evalator(プログラムなどの効率、実用的であるか調べる)



マクロ(Macro)レベルでは、

   Community practice or organizing
      - Community developer(社会の発展)
      - Social Planner(コミュニュティーや、社会のプラン)
      - Social Activist(社会活動)

   Policy activist and analyst(方針、政策を作ったり、審査したり)



龍馬伝を見ながら、、、


坂本龍馬という人は、

カウンセラーだったり、仲介者だったり、主張者だったり、教育者だったり、

アウトリーチしたり、日本の発展に貢献しようとして、

社会のプランをしたり、社会活動したり、

政策を作ったりして、


日本の江戸後期の、ソーシャルワーカー


ともいえるかもしれない。と思った山葵でした。


分かりやすかったでしょうか??

ご質問があれば、ぜひ、コメントやメールなど、送ってください。

回答などを、プログに載せたりしたいと思いまーす。

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