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カナダ国AB州でソーシャルワーカーしてます。 生活の一こま、カナダのニュースなど、 徒然に書き綴ってます。メールはこちら wasabisyouu@gmail.com
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ご質問のコメントが着きました。
非常に長いので、興味の無い方、飛ばして頂いても良いですよ。


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>「それ」は”哀れみより、同情すべきなのである。同情とは、他人の身の上になって、その感情をともにすること。特に他人の不幸や苦悩を、自分のことのように思いやっていたわること。Put oneself in another person's shoes である。こちらがソーシャルワークなのである。”という部分です。果たして、社会の人はそれを望んでいるのでしょうか?という疑問からコメントしました。正直なところ、ビデオクリップの物乞いの動画は特に細かく議論しようとは思っていません。ただ、ソーシャルワーカーの存在意義については、まだまだ私は懐疑的です。だから、わらびさんのブログは興味深く読ませていただいています。懐疑的な理由は、助けを必要としていない人にまで、社会的に見て、必要だろうと判断して勝手にソーシャルワーカー側から来るというイメージだからです。本当に助けが必要なら、必要だということもできるはずですが、ソーシャルワーカー的に見ると、社会的弱者は、助けが必要な状況にすら気づいていない。だから、気づかせてあげるわ。というまさに上から教える感じがします。そこには、本当にPut oneself in another person's shoes といえるのか?むしろ、立場を理解するというより、その人にとって、より試練を与えるだけという感じもします。社会的弱者の快適さの追及ではなく、はっきりといえば、社会全体の快適さを追求していると言ってもらった方が素人にはソーシャルワーカーの立場を理解しやすいという思いで書きました。エゴというのは、まさにこのことです。私の理解不足で、誤解があれば是非専門家から教えていただければ幸いです。

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詳しく述べて頂いて 、これで分かりました。

>懐疑的な理由は、助けを必要としていない人にまで、社会的に見て、必要だろうと判断して勝手にソーシャルワーカー側から来るというイメージだからです。
このようなイメージが有るのなら、私のソーシャルワーク広報係としての役割が、まだまだ足りないのですね。


ではまず、どこでソーシャルワーカー(SW)が働いているのか、基本的な事からおさらいしましょう。


SWが主に働いている所。

Federal — 国の刑務所、カナダ軍隊、他

Government of Alberta (生活保護、老人福祉、身体障害者係、児童福祉課、ポリシー分析部、州の刑務所、等

City of Edmonton (community services – カウンセリング、community development、緊急災害対応課、family services (家庭内暴力、いじめ、サイバーいじめ、青少年を非行から防ぐ、守る係。

病院やクリニック — 一つの病院に(病院の大きさにもよりますが)3、40人のSW。部署ごと、例えば小児科、産婦人科、外科、精神科、family medicineなどなど、部署と接続している所と、SW部が病院に有って、必要とされる科の患者さんに配属される場合。

学校 ー スクールSW(経費の削減であんまり存在しないかもしれません)

非営利団体 — ファミリーサポート、養子縁組、高齢者、移民 、障害(メンタルも含む)のある方をサポートする団体、Addiction recovery(アルコール、薬、等など)、グループホーム、たくさん有りすぎて、書ききれない。。



では、一番身近な、Government of Alberta 、児童福祉から見てみましょう。児童虐待やネグレクトが有った場合、まず、誰が児童福祉課へ連絡するのかと、言うと、先生が子供の異変に気づく(アザが有ったり、暑いのにトレーナーやズボンを着てアザを各層としたり、性的虐待が有ったりすると、大切な所を隠そうとする。)まず、先生方が子供の異変に気づいて、連絡する。その他、近所、家族、友人たちからの、児童虐待が起こっているかもしれないという電話連絡。そして、夫婦間のいざこざで警察がその家に呼ばれた時、子供がその家にいた場合、警察は即、児童福祉に連絡します。

カナダ軍隊や警察だと、指揮官やボスが、『あの○○中佐(警部)の様子が最近おかしいから、SWへ行く様に』って言い渡したりします。


それから、生活保護を受けたい場合、その人たちは自分でAlberta Worksという所へ行かなければなりません。自分で行って、事情を説明しないと行けません。
病院のSWの場合、医者、看護師、サイコロジストから、この患者さんには、SWのinterventionが必要だと判断され、SWに紹介されます。




>ソーシャルワーカー的に見ると、社会的弱者は、助けが必要な状況にすら気づいていない。だから、気づかせてあげるわ。というまさに上から教える感じがします。


上記にあげたように、SWが勝手に助けが必要だと判断してどこからとも無くやってくる訳では有りません。周りの人、家族、警察、学校、ご近所さんが何らかの形でその人、その子の異変や問題に気付き調査するよう求め、SWの介入が始まるのです。


こちらでは、Social Safety Netという考え方が浸透してます。人々がその網から落ちて行かない様(最悪の結果、餓死、殺人etc)に、社会全体が支えて行かなければならないという考え方なので、その人が助けが必要な状況に気づいていなくても、(sw以外の)誰かが気づいて誰かに助けを求め、社会でなんとかしなければと言う考え方です。


逆に言うと、このSafety Netという考えが日本には無いから、SWが浸透しにくいのだろうかしら?日本だったら、昔はおせっかいおばさんがいたから、SWが必要でなかったけれど、個人主義の北アメリカ、個人主義だからこそ、人々が助け合って社会を良くしなければならないというのが早く浸透したのでしょうかね。


ですから、SWは表に見えるけれどそのSafety Netの氷山の一角で、人々がサインに敏感で、人権の管理人であるのです。


たとえば、患者さんやその家族が、病院の廊下で泣いているとします。見かけた看護師、医者、OT、スタッフが、すぐ駆け寄って来て、『SWを早く呼んできて!』と言うんですよ、こちらの病院では。


非営利団体では、基本的に助けを必要とした人が、その団体に助けを求めにやってきます。養子縁組、移民など。Addiction Recoveryなどは、大抵、家族が無理矢理引っ張ってきたり、児童福祉のケースワーカーが行かないと、子供を返さないというような条件を付けたり。。


エド市のCommunity Servicesの場合、また、前回の物乞いの話に戻りますけど、物乞い、ホームレスがいるという事態は、エド市がなんとかしないと、この市からいつまでたってもホームレス問題が無くならないという事態を打開しないといけない、市のアジェンダにSWが利用されているっていう感じでしょうか。誰がSWの雇用主かという面も絡んできますので、この辺になるとpoliticsですね。


こう見ると、SWはたくさんの分野にいます。ですが、基本的に、自主的に来る人、強制的にSWの介入を受け入れざる終えない人、2つのタイプにわかれます。


そうすると、クライアントはどんな人か、どんな過去を背負っているのか、というのは全く分かりませんよね。私の少ない経験からするとクライアントはいつも、『私の気持ちなど分かるまい。』『子供がいないあなたに、どんなに大変か分かるまい』と言われます。クライアントのおっしゃる通りです。


もし私が移民サポートのサービスを受けたく、そんな団体に行くとしましす。私もいろいろ苦労してきました。そんな私の苦労が、二十歳そこそこの、白人のカナダ人で何にも苦労してなさそうな(もちろん実際苦労してらっしゃるかもしれない)、チャラチャラしたSWには分かるまい。という気持ちになるでしょう。で、(仮の)白人SWが心の中ですべきなこと、put oneself into another person’s shoes(例えば、この白人SWが英語(フランス語)圏以外の国へ旅行へ行った時に感じた、言葉の通じない苦悩や、孤独な心の痛みを思い浮かべたりして、少しでも私たちの感じている苦悩を一緒に感じることを努力するのです。こちらがput oneself into another person’s shoes.


もし、私が観察保護付きの犯罪者のSW Practiceをする場合。たとえ犯罪者といえ、人権を尊厳しないといけません。犯罪者に偏見があると、なかなかput oneself into another person’s shoesが出来ませんよね「あんた見たいな犯罪者に、SWのサービスなんてしたくない」と思うと、良い関係が作れませよね。よい関係が作れないと、セラピーやサービスも単なるお金の無駄使い。でも、少しでも痛みを感じる事が出来て、ちゃんとして更生する様に導くのがSWであるべきなんですよね。


>立場を理解するというより、その人にとって、より試練を与えるだけという感じもします。

『より試練を与えるという感じがする』というご意見(私には、ちょっと面白いと思います)クライアントに聞かないと分からないですよね。(次の研究テーマだワ)。試練はうすうす感じているのでは無いでしょうか?(私は不運だなぁ、犠牲者だ)ほんとうに聞いてみないと分かりませんですけどね。


>社会的弱者の快適さの追及ではなく、はっきりといえば、社会全体の快適さを追求している。

物乞いやホームレスをなくすという市のアジェンダは確かに、大半の人は、道ばたでは物乞いやホームレスを見たくない、市の評価を落とすのでいなくなれば良いと思っているので、いなくなれば社会全体が快適になるという = あなたの上記のご意見に近いですかね。


最後に、SWのクライアントには、社会的弱者が多いですが、普通の人やお金持ちのクライントもたくさんいますよ。ですから、ある一定のグループの快適さだけを追求するのではなく、一人一人の快適さを追求している = 社会全体の快適さの追求と言う事、になるかも知れませんね。


非常に長くなりましたが、出来るだけご質問にお答えしたつもりです。
少しはSWのご理解を深められたでしょうか。。

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先日書いた記事にコメントが着きました。

>それは、ソーシャルワーカーのエゴではないでしょうか。個人の問題にソーシャルワーカーという名の下にする正義を押し付け、ただの自己満足と感じます。

という内容です。
待ってました、こういうご意見!
意見を交換する事で、人は学んでいくので、コメント大歓迎!
コメント欄の返事には、書いた方のコメントの意味をはっきり理解するために、『それ』とはいったい何をさすのか、『個人の問題』とは誰の問題、あげる側かもらう側か、詳しく述べて頂ければ返事のしようがあるので、返事頂くよう書きましたが、音沙汰が有りません。

この方、自分の言いたい事だけ言ってすっきりしたかったようですね。むしゃくしゃして、あたり散らしたりするような方でしょう。カウンセリングやセラピーが必要ではないんでしょうか。





では、この方だけでなく、読んでる皆さんも一緒に考えてください。
長文ですから、2、3回に分けて読んで頂いた方がよろしいでしょうかねぇ。。

何度も何度もこの方のコメントを読んでいるうちに、

『それ』とは、お金をあげずに、物乞いをする人が必要としていない団体を紹介すること、だろうという気がしてきました。
『個人の問題』というのも、おじいさんが好きで物乞いをしているから、

要するに、『おせっかい。』

おじいさんには必要ない団体を教えようとしているのが、自己満足。

また、個人の問題=お金をあげるもあげないもの、あげる人個人の判断。

また、正義とは、お金をあげないということを、人々に押し付けているということ。

という風に、理解し始めました。(書いた本人にしか、意図は分からないので、推測の限りです)



さてさて、まず『正義』から。

揚げ足とりにはなりたく無いですが、『正しい行動だ』と言ったが、『正義』だとは一言も言っていない。

ソーシャルワーカーがからみて、『社会正義』というのは、人々の福利をmaxにする事。

『社会に見られる不正義の改善と利用者の問題解決のため、利用者や他の専門職等と連帯し、効果的な方法により社会に働きかけます。』

このおじいさんは盲目によって、人権が犯された場合(差別を受けたり、仕事が見つからなかったり)その人権を守り、おじいさんのソーシャルネットワークを最大に生かし、雇用側にお雇用促進したり、バリヤーや障害をなくして行く様にするにするのが、社会の義務であり、正義である。

物乞い、ホームレスの人々は健康衛生、危険にさらされています。その人たちが、無差別殺人のターゲットにもさらされたり、Hap A,B, HIDSなどに感染したり、殺されるに値するのでしょうか?


『個人の問題』をさすのは、盲目のおじいさんが、いろいろある選択肢の中で物乞いを選んだ場合。
本当に、選んだんでしょうか?いろいろなサポートが有るのに、知らない、調べる術が分からない。教えてくれる人がいない。
そういう障害がいくつも重なって、物乞いになりざる終えなかったのと、
いろいろ知っていて、結局物乞いになる事を選んだという、この二つのシナリオが有った場合、どう思いますか?

このプログで、先日この市にあるSocial Services Agenciesのリストを載せるまで、こういう団体が、エドモントンに有ったんだ。って初めて知った人はどのくらいいるでしょう?(このリストはまだまだ続きますょ)。

私たちには、『知る権利』というのが有ります。でも、知る権利という権利が与えられ得なかったり、権利を使う事が出来ないとどうでしょう?

また、このおじいさん、一人でこの世に産まれて来た訳ではないですから、過去には家族、親類、友達などのソーシャルネットワークがあったはずです。(孤児院で育てられたのであったとしても、何らかのサポートが有ったはずです。)無ければ、サポートや知識を得る術を一緒に学び、自立して行ける様にサポートするのがSWのあり方です。

一人一人離れて行ったり、自分から進んでひとりぼっちになって、物乞いを選んだんでしょうか?



『個人の問題』が、あげる側だとしたらば。

もちろん、物乞いにお金をあげるのは、個人の自由ですが、あげた場合のconsequences(結果)を考えた事が有りますか?

ある人たちが、$5あげて、今日一日のご飯にありつけたとしても、このおじいさん明日の分はどうします?
また明日、物乞いをしなければなりません。人々があげる事で、物乞いをEncouragement(奨励)してるのです。
私に言わせるならば、あげた人の自己満足。こちらは、一時的な絆創膏のような者で、解決策にはなりません。

もし、毎日毎日、同じ人を町で見かけたら、お金を毎日毎日あげるのでしょうか?
これも個人の問題でしょうか?
しまいには、がっかりしてあげなくなってしまいます。なら、最初からあげなければ良いのに。っと私は思います。

この市の研究者が、この市にいるホームレス一人一人にインタヴィー調査をしたところ、約8割の人は、『ホームレスから抜け出したい』と言っているそうです。
IDが無かったり、頼る人がいなかったり、そいういうサポートを充実させ、人々の福利やCapacityにする事が、ソーシャルワークで言う、社会正義です。


また、あげる人がいるから、物乞いという手段が成り立っている訳で、需要と供給のバランス同じく、あげる人がいなくなれば違う手段に移るでしょう。
それが犯罪なのか、気を取り直して、ベットや食事を自分で働くという事で人生をやり直すことなのか(それが、ソーシャルワーカーなどの願いで)物乞いやホームレスをなくす様にがんばっているSWはには、この市にたくさんいます。



もちろん、ソーシャルワーク、プラクティスは、どこからとも無くやって来て、紙切れ一枚あげ、『はい、あなた、ここへ行きなさい』って5分もせずに帰って行くのでは有りません。


まずは、ホームレス、物乞いをする人たちと、信頼出来る関係を作ります。
『Hi, How are you doing?』の様に、週2、3回出掛けて行っては、話をし、信頼関係を築きます。『私の事を気遣っているのだ』という心と心の絆が産まれれば、身の上話や困っている事を話したり、相談相手になったりする事が出来ます。

3ヶ月か、1年かかるか分かりませんが、良い関係を築く事により、物乞いしなくても住むような生活がサポート出来る事を伝え、導きます。

先日のビデオクリップのメッセージの用に、巧みな話術で導いて行くのです。
この話術が巧みである事がクリニカル、ソーシャルワーカーに必要な技術です。




最後に『個人の問題』という考え方は、少し危険性をはらみます。

個人の問題は、社会の問題です。

例えば『個人の問題』という考え方の延長線上に有るのは、『家庭内の問題』は、その家の問題だから他の人があれこれ言う必要は無い。という考え方です。

児童虐待、老人虐待、夫婦間の虐待、これらは、『家庭内の問題』だったため、ずっとプライベートとされて、社会問題になっていませんでした。
家族のメンバーを殴ったり、嫌みな事を言ったりしたりするのは、家庭内の問題なので、他の人がとやかく言う必要がないと言えますか?
こういう虐待が延々続くのを防ぎ、助けようとするのがSWの自己満足なんでしょうか??






コメントを書かれた方、この記事を読んで頂ければ幸いなのですが、前の記事の補足兼コメント返しをさせて頂いたつもりです。前記事の意図を少しでも分かって頂ければ幸いです。

また、他の方が、ご質問ご意見などが有ればどうぞ。

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まずは、このビデオから。





言葉の使い方、言い方、言霊、

言い方を変えると、世界を変える。

というメッセージは良く伝わった、だからポジティブサイコロジーというのがあるのだが、


他の人がコメントしている程、山葵には感動受けなかった。



なぜならば、物乞いにお金をあげても、世界は変わらない。



"It's a beautiful day, but I cannot see it."

これは、人々の哀れみを誘う言葉で、




れっきとした


Manipulation


哀れみをかき立てる、巧みな言葉の操作である。



山葵が不快に思った点。

1)哀れみは、英語ではPityという言葉が当てはまるが、自分よりかわいそうな人を気の毒に思うこと。

上からの目線である。チャリティーは、哀れみからくる部分が大きい。

哀れみより、同情すべきなのである。

同情とは、他人の身の上になって、その感情をともにすること。

特に他人の不幸や苦悩を、自分のことのように思いやっていたわること。


Put oneself in another person's shoes である。

こちらがソーシャルワークなのである。



2)盲目のおじいさんが、こうならないようにすること。

このおじいさんの家族はいったいどこへ行ってしまったんだろう?

なぜ、こうなってしまったんだろう?と私は考える。

Panhandler (物乞い)にお金を与えず、このおじいさんを助けるような団体に寄付する事が正しい行動である。

もう一つするなら、このおじいさんを助けるような団体を、そのおじいさんに紹介する事。

点字サービスや、通訳者はいくらでもいらっしゃるだろうし、意思の疎通というのは、少しの勇気があれば、誰とでも出来るはずである。



もし、この市で物乞いを見かけたら、まず、自分自身に聞いてください。

『彼/彼女は哀れだな』と思っているのだったら、黄色信号。


お金をその人にあげないで、その分を団体に寄付してください。



もし、モールの駐車場や、道ばたで、『先週、○○に殴られてお金をとられた、一文無しだから、バス代をくれないか』

とか、聞かれたら、英語が分からないふり、又は、

小銭を持っていないと言って、振り切る様にしてください。

駐車場のような、人通りの多い所だと、殴られるような事はないと思いますが、

もし、暗がりで人通りの少ない所だと(財布を見せずに)ポケットのチャリセンでも

良いから、あげてください。

その前に、暗がりで人通りの少ない所は、歩かないでくださいね。



まとまりの無い分になったが、ソーシャルワークは慈善事業ではないし、キリスト教に基づいているものでもない。

哀れみよりも同情するという事が必要であるが、ソーシャルワークの最終目的は、

SWの手助けがいらなくなるように、そして、自分で問題やバリアを追っ払う事ができる様に支援することがソーシャルワークなのである。


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先日、平和な国ノルウェー王国を震撼させた、

『オスロ中心部爆発事件及びキャンプ場銃撃事件』


こちらに流れてくるニュースの断片だけを読んでいると、


1)極右翼

2)キリスト教原理主義者(イスラム教の迫害)

3)現、労働党政権への不満(移民、社会保障制度に対して)


この三つの点が絡み合っている。




ノルウェーは社会保障制度が整った国であり、ソーシャルワーカーからみると、

天国のような国である。貧富の差も少なく、福祉が充実している。


カナダは、福祉国家と良く言われるが、ソレは、日本から見て福祉国家と言えるが、

ノルウェーからみると、まだまだである。

私の個人的感覚からすると、日本の福祉制度が3だとすると、ノルウェーは10くらい、

カナダは7くらいだろうか。ちょうど中間点である。

横道にそれたが、この事件でノルウェーの国でもも上記のような輩が存在するということが、改めて認識させられた。




まず、右翼。

前回、カナダでの選挙があった歳、述べたが、西洋で言う右翼というのは、

『自分のことは自分で面倒見よう』的な考え。

社会保障というのは、政府が個々の財政に口を突っ込むことはしない。

自分で仕事を見つけて、自分でやってけというイデオロギー。




次、キリスト教原主義者。

山葵の個人的な意見からすると、宗教は否定しないが、他の宗教を否定する

宗教概念は私には頂けない。

キリスト教とイスラム教のいがみ合いは未だに続いている。

あんまり知られていないが、キリスト教とイスラム教は兄弟宗教である(違っていたらごめんなさいね)

イスラム教徒、女性がかぶるヒジャブは、聖書の聖母マリア様がかぶるベールと同じであると、イスラム教信者のクラスメートから聞いた(が、イスラム教にもいろんな宗派があるので、彼女のは、比較的リベラルだったのだろうか。)

違う宗教同士、共存は出来ないのだろうか。



最後に、移民、社会保障制度に対して。

社会保障が充実すると、何もしないでもお金がもらえ、労働意欲が薄れ、

移民が働かないで保証を吸い上げている、という不満。

どこかの新聞で読んだが、犯人は日本という国を、『他民族を歓迎しない国家』ということで、日本を目標に掲げているそうだ。

ちょっと複雑な心境だ。



山葵の個人的な考え方だが、イデオロギーは偏見から来る。

この事件は、非常にショッキングで残念な事件である。

不満は誰にでもあるが、テロや銃撃し、人の命を奪わなくても

いくらでも政府や社会にに訴えることは出来るのに。。

例えば、政治家になるとか。

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久々に、SW 関連の話題を。

エド市にあるSocial Service Agencies など、知っているようで知らない人が

たくさんいらっしゃいますので、このプログで、アップしたいと思います。

もちろん、すべて英語ですので、ある程度は勉強してくださいね。


まずは、サイコロジスト、Marslow’s Hierarchy of Needs

(マズロー博士の人間が、生きて行く上で必要とする段階)の一番下の段階から。

必要最低限となる衣食住から


詳しくは、下記のGoogle mapにリンクが貼ってありますので、下記を参照ください。


View Social Service Agencies in Edmonton in a larger map



食:

Edmonton's Food Bank

WeCan Food Basket Society


住:

Capital Region Housing Corporation

homeEd は、City of Edmonton から

Sage (Seniors Association of Greater Edmonton)


私の目標は、そういう一覧表を作って、日系会館などに置くこと。

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