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カナダ国AB州でソーシャルワーカーしてます。 生活の一こま、カナダのニュースなど、 徒然に書き綴ってます。メールはこちら wasabisyouu@gmail.com
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気のおけない、無二の親友と呼べる親友のおかげで、

わたしのメンタルヘルス面のバランスが取れている、と言っても

過言ではないと私は思っている。

やっぱり、母国語であーだこーだ言える友達、境遇が似ていて、Judgementalでなく、

何を言っても気を使わない友達が出来たという事は、ホントにありがたい事である。


先日、その友達にお昼をご馳走になった。

いつもご馳走になっていると言ってよいけれど

本当にいつもありがとう。これからも宜しくお願いします。

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あーだこーだ話しているうちに、母親の生い立ちの話になった。

で、聞きながら、後になって思い出した。


そういえば、ウチの母親は、確か産みの母親に捨てられた様な事を、私が小さい時聞いた覚えが有る。



何でも、母親が小さい時、産みの母親に、親戚のうちに連れられて、

『必ず迎えに来るから、待っててね』と言ったまま、失踪したらしい。

それから毎日毎日、親戚のうちの近くにあるバス停で(バスを使って2人はやって来たらしい)

母親が迎えにくるのを待っていた。という事を、涙目で話をしていたのを、思い出した。

良く有る話だから、もしかしたら、私の勘違いかもしれないのだが。。


その親戚に引き取られて、養子となった訳だが、そういわれてみれば、2人の兄とは似ていない。

どんな思いで暮らしていたんだろうか。

幸い、育ての親、義兄弟家族とは今も良好で、本当に実家である。


それから、

その時代に良く有る、中学を卒業してすぐ、住み込みで隣町で働き、

二十歳そこそこで、ウチの父とお見合いをした

ほんとは、「ひろし」さんという人を恋いこがれていたが、告げられずにいたという。


その後、父の酒乱に耐え、田んぼと子育て、仕事、そして接待を頑張って来た。

6人の義姉妹とその家族がやってくる正月、春、秋のお祭り、お盆で大量の

料理を作っていた大忙しの母親。


なんとあっぱれな母親だろうか。いつも母の事を考えると、頭が下がる。

まだまだ60代で若いけれど、頻繁に日本へ帰ろうと思った。


いろいろ反抗した事もあるけれど、今は感謝の念でいっぱいである。

お疲れ様、お母さん。

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