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定期健康診断のようなものを受けて来た。
一通りの血液検査、例えばコレステロール、糖尿病、そのた諸々の検査を受けて来て、
それから、身体検査、指診など。
山葵は異常なし、健康そのものの太鼓判を押してもらったが、
どうやら、旦那の方にちょっと懸念される要素が見つかった。
以下は山葵と、旦那の会話。
私:どうだった?
旦那:すべて正常なんだけど、心臓まぁまぁなんで、超音波を受けて来いって。
私:心臓まぁまぁなら、受けなくてもいいんじゃない?
旦那:でも心配だから、予約するよ。。
私:ふーーん。そう。。
以後、車の中で、旦那様、心臓の事をやたらと気にしている。
旦那:また心配事が増えた。。
私:心臓まぁまぁ何でしょ?なんでそんなに気にするの???大丈夫よー。
以後、夕食頃まで、旦那がウダウダ心配している。
私:なんで、そんなに心配してるの??心臓まぁまぁって言ったじゃない?
旦那:もしかして、山葵、心臓まぁまぁの意味を知らないの??
私:えっ??まぁまぁじゃなくて、英語なの??
旦那:知らないのなら、知ってる振りせず、早く言ってよね。。。
Heart Murmur マァーマァーと発音する。
とは、心雑音
の事で、心臓に異常があるかもしれない、という事。
それで、あんなに心配してたのか。。ハハハ。冷汗
原因は、山葵が憶測するに、旦那の仕事上のストレスだと思う。
それと、元来の心配性のため、些細な事でも、すぐ心配するのである。
私が心配しなくてもいいって言うと、余計に心配するらしく、私が、心配して慌てふためいている方が、彼にとっては気が楽になるようだ。
心配しているふりをする事にする。
超音波を受ける様に指示した紙をもらってきた先週から、なかなか寝付けない旦那。
かわいそうと思いながら、
『あなたが先に死ぬのは確実から、生命保険今のうちにたっぷり掛けておくね。RRSPの受け取りも、私に直しておいてね』
と冗談めいて言う、鬼嫁ここに有り。
でも、ちょっと心配です。狭心症とかだったら、怖いよねー。。
あんまり心配してないけど。おっと、この心配していない事が、旦那には負担になるのか。。
も一つ、賢くなったかな。
私の母校の後輩である、専門学校の生徒12人が、この地震で亡くなった。
私の同級生である、N子とその先輩後輩達が協力し合って、
一生懸命募金を募ったり、家族や遺族に何か出来ないかと、
頑張っていたのを、海の向こうから、人ごとの様に感じながら眺めていた。
夢破れ、地震で命を落とさなければならなかった、若い命。
何が起きたか分からないまま命を失った。悔しかったろうね。。無念だったろうね。
旦那にも話したが、この山葵、罪悪感を感じた。今も感じている。
というのも、同じ学校に通ってはいたものの、ウン十年も前の事なので、
学校の事、行事などは良く覚えていない。
卒業してから今まで、合計3つの大学に通ったし、私自身もここ10年いろいろ有りすぎて、20代前半の事はあんまり記憶がなくなっている。
母校として強く感じ、思い入れがあるのは、最初の学士をとった大学と、今の大学院。
申し訳ないが、寄付してくれと頼まれたら、この2つの大学に寄付するだろうと思う。
一生懸命頑張っている友達を見ながら、そう思っている自分が居る事に、とても罪の意識をとっても感じるのだ。
そのN子、最初は辞退したらしいが、来週、一周忌でNZへ行くと聞いた。
この学校の生徒の犠牲者だけではなく、この地震で犠牲になったすべての人々その家族の方々に、祈りを捧げたいと思います。
9日と中途半端なのは、7日分あった有給を先に使わないといけなかったので、
先に使った日の翌日から3ヶ月間の休職という事だったからだ。
ボス、同僚、みんな快く迎えてくれたのが、とっても嬉しい。
会う人会う人、
『卒論は終わったの?』
と聞かれるのがうっとうしいが、
『まだ。でももうちょっと』
と答えるしかない。
先週卒論スーパバイザーと会い、130ページにわたる論文のデジタルコピーを渡した。
バイザーの感触は良さそう。もしかしたら、有名なジャーナルに出版出来るかもしれない(と言う淡い期待も有り)
帰り際に、『6月の卒業を目標としているから、4月末にはどうしても、ディフェンス(口答試問)と、論文の提出は終わらせたい。』
という事を、再度知らせた。バイザーからも、大丈夫そうな返答が帰って来た。
どの教授を、私の論文の審査員にするかと言う、選別も聞かれた。
「誰でも良い」と私は答えた。
どの教授も、Hard markers(厳しい点ばかりくれた、難しい先生)ばかりだからだ。
Externalと言って、ソーシャルワーク以外の分野の審査員を選ばないといけない。
私の論文は、日本人と日本文化に関係しているので、
東アジア研究の教授の中に、日本人の教授が居る事を伝えた。
だんだん、終盤戦に入って来ているのが、嬉しいやら、怖いやら。
早く、この大仕事から解放されたい。
幸運にも、このセメスター、私のスーパヴァイザーの教えたクラスは既に終わり、
課題も点数をつけ終わったらしく、、
この教授についているのは、PhDの学生と、私だけ。本当に集中してみてもらいたいものである。
パートタイムであるが、仕事が始まった事により、
仕事にも、論文への時間の割当も、だんだん緊張感と張り合いが出て来た。
今日もらったケース、3件。
お友達も言ってくれた様に、体をだんだんならして行くにはちょうどいいのだろう。
カナダの物価は10年前に比べて、跳ね上がっている。
カナダに住んでいて、時々辛い時があるのは否めない。
過去には、日本に帰りたいと思った事は何度もある。
サービスは至れり尽くせり、食べたいラーメン、
美味しいお寿司も好きな時に、好きなだけ食べれる。
両親、家族、友達もたくさんいる。
カナダ人と結婚した訳ではなく、自分の意志で永住権を取ったので、
いつでも日本へ帰る事は出来る。
でも、何で辛い思いをしてまで、カナダに居たいのか。
カナダでの女性の地位が、
日本に比べると高いから。
これに尽きる。
日本で一生懸命働いたのに、賃金格差、責任のある仕事はもらえない、
名刺を持つ事なんて、持ってほか。
若いうちは職場の華なんてチヤホヤ、言われているうちは良いが、
25過ぎたら、『寿退社、何時すんの』なんていわれて、
子供が出来ると、産休はもちろん、職場復帰などあり得ない。
そういう、女性に対しての格差、Sexism と言うのだが、日本に居て腹立たしかった。
其の怒りが、こちらで頑張る原動力となっていたのは、間違いない。
今は、仕事にやりがいを感じ、旦那の年収の8、9割を稼ぐ事が出来る。
うちらが家庭を切り盛りする上で、私の働きが、家族に対して貢献出来ているという満足感が有る。
もちろん、カナダでも、まだまだ男女格差は有るが、
日本から比べると、まだマシ。
自分がのびのびと生きていられるから、カナダに居るのだ。
後は、残業無し、3週間から始まる有給、のんびりな生活に一度はまったら、
日本で働く事は出来なくなった。っというのもカナダに居る理由である。
前回の続き。
年金について、前回言いそびれた事が有る。
2008年3月に、日本とカナダ間に
『日カ社会保障協定』が発行された。
この協定は、2重加入防止と、年金加入期間の通算。
日本人なら誰でも加入しなければならない年金。
日本の年金を受け取るには、25年以上加入しなければならない。
たとえ一ヶ月でも不足だと、受け取れないのだ。
海外居住の場合、任意となるが、お金の余裕のある人は国民年金を払っている。
でも、海外で働いて場合、お給料から、CPPが引かれているので、
2重の払い。と言う事が出てくる。
それを解消しようと、この協定がサインされた。
カナダで働いている分は、日本の国民年金に加算されるのである。
ただし、2008年から。
日本で年金制度に加入していた期間 + CPPに加入していた期間 = 25年以上
で日本の年金の請求が可能になる。
カナダの国籍を取得していても日本の年金の請求が可能になった。
二重払いの防止をしているが、禁止している訳ではないので、
余裕のある人は、日本での国民年金を支払ってもよいかもしれない。
と、どこぞのガイドブックに書いてあった。
親に払ってもらっている人たちもいるかもしれない。
年金を支払うのは大事だが、引退の近い親に払ってもらって、
自分が引退した時、年金をもらおうというのは、
自分ことに責任が持てない人だと思うのは、私だけでは無いはずだ。
年金については、どの国も不安定であるには違いない。
やはり、自分でプランを立てる事が必要なのは、間違いない。